毎朝、「私」を思い出している

朝、目を覚ます。
窓から光が差し込み、外から車の走る音や、鳥のさえずりが聞こえてくるなか、まだ眠たい頭で、「さて、今日は何をするんだっけ」と考える。
とりあえず起き上がって、顔を洗い、歯を磨く。いつものように身体を動かしているうちに、少しずつ今日の予定が浮かんできます。
そうだ、今日は仕事に行くんだった。
学校には何時までに行くんだっけ。
今日は雨だから、あの靴を履いていこうかな。
朝ごはんは何を食べよう。
そんなふうに、今日の予定や昨日までの出来事を思い出しているうちに、少しずつ「私」という存在がはっきりしていく。
もちろん、朝起きるたびに、自分が誰なのかを忘れているわけではありません。
それでも、眠りから覚め、いつもの生活を思い出すにつれて、名前や年齢、学生である私、仕事をしている私、誰かの子どもであり、親でもある私。さまざまな自分の輪郭や役割が戻ってくるような気がします。
昨日の夜、悩んでいたことが、朝になると少し薄れていたり。
反対に、ふと思い出して、また同じ気持ちになったり。
私たちは毎日、こうして記憶をたどりながら、一日を始めているのかもしれません。
覚えていることは、本当にあったこと?

ところで、昔の出来事を誰かと話していて、「えっ、そうだったっけ?」と思ったことはありませんか。
例えば、子どもの頃に家族で出かけた旅行。
自分は海で遊んだことをよく覚えているのに、兄弟は帰りに食べたアイスクリームのことばかり覚えている。
母親に聞いてみると、そもそも海ではなく湖だったと言うかもしれません。
同じ場所にいて、同じ時間を過ごしていたはずなのに、覚えていることが違う。
不思議ですよね。
実は、私たちの記憶は、ビデオカメラのように過去をそのまま録画しているわけではありません。
何かを思い出すとき、脳は残っている情報をもとに、その出来事を組み立て直しています。そのときの気持ちや、後から知ったことによって、思い出し方が変わることも研究[1]で示されています。
つまり、自分がはっきり覚えていることでも、実際に起きた出来事とは違っている可能性があるのです。
そして、もうひとつ面白いことがわかっています。
過去を思い出すときと、まだ起きていない未来を想像するときには、脳の働きに共通する部分があるのです[2]。
例えば、来週、友だちと遊びに行く予定を考えてみます。前に行ったお店や、楽しかった出来事を思い出しながら、今度はどこに行こうか、何をしようかと想像する。
私たちは、これまでの経験を使って、まだ経験していない未来を思い描いているのです。
過去の記憶が、まだ知らない未来を思い描くことにもつながっている。
そう聞くと、記憶というものが少し違って見えてくるかもしれません。
忘れたいのに、忘れられない
一方で、記憶には少し困ったところもあります。
何年も前に言われた、誰かのひと言。
あのとき、どうしてあんなことを言ってしまったんだろうという後悔。
もう終わったことなのに、ふと思い出して、悲しくなったり、腹が立ったりすることがあります。
忘れてしまえたら、どんなに楽だろう。
けれど、忘れられない記憶も、時間とともに違って見えてくることがあります。
例えば、子どもの頃に親から言われて傷ついた言葉。
当時は自分が悪いと思っていても、大人になった今なら、親にも余裕がなかったのかもしれないと感じることがあります。あるいは、あの言葉はやっぱり悲しかったと、初めて素直に認められることもあるでしょう。
過去の出来事は変わらなくても、その記憶と今の自分との関係は、変わっていくのかもしれません。
過去のわたしと、今のわたし

あの頃には知らなかったこと。
経験を重ねたからこそ、感じられること。
そして、今もまだ、わからないこと。
そうしたものを抱えながら、私たちは過去の出来事を見つめています。
その記憶と、今のわたしが手を結んだとき。
これまでとは違う理解が生まれたり、あの頃の自分に少し優しくなれたりすることもあるのでしょう。
もちろん、思い出したくないことを、無理に思い出す必要はありません。
今はまだ、そっとしておきたいこともあるでしょう。
その記憶と、どんな距離で付き合っていくのか。
それぞれが、自分の距離感を大切にしてよいのだと思います。
昔のわたしが感じたことを、今のわたしが受け取り、今日の経験を、まだ知らない明日へと手渡していく。
「わたし」とは、過去と未来をつなぐ「渡し」役なのかもしれません。
今日も、「私」という時間が始まる

明日の朝も、私たちは目を覚まします。いつもと同じように始まる一日。
けれど、その一日は、まだ記憶になっていません。
これから出会う人、交わす言葉、何気なく目にする景色。
その中には、いつか懐かしく思い出すこともあれば、忘れてしまうこともあるでしょう。
何が心に残るのか、今はまだわかりません。
昨日までの記憶をたずさえて、まだ記憶になっていない一日を生きる。
そうして過ぎていく一瞬一瞬が、いつかの「わたし」へと手渡されていくのかもしれません。
参考文献
[1]Schacter, D. L., Norman, K. A., & Koutstaal, W. (1998). The cognitive neuroscience of constructive memory. Annual Review of Psychology, 49, 289–318.
[2]Addis, D. R., Wong, A. T., & Schacter, D. L. (2007). Remembering the past and imagining the future: Common and distinct neural substrates during event construction and elaboration. Neuropsychologia, 45(7), 1363–1377.
